岸谷香さんと岸谷五朗さんは1996年に結婚しました。岸谷香さんはその年にプリンセスプリンセス(通称プリプリ)を解散しており、バンド活動の終了と結婚が同じ年に重なる形となりました。
二人の馴れ初めについては詳細な情報は少ないものの、芸能界という共通の世界で出会い、互いの芸術性や人間性に惹かれ合ったことが想像できます。岸谷五朗さんは俳優として舞台やテレビドラマで活躍し、岸谷香さんはロックバンドのボーカリストとして人気を博していました。
結婚後、岸谷香さんは「専業主婦」として家庭に入り、子育てに専念する期間が長く続きました。彼女自身が「それまでほぼ『専業』だった45歳の『お母さん』」と表現しているように、結婚から子育て期間中は音楽活動よりも家庭を優先していたことがうかがえます。
岸谷五朗さんと岸谷香さんの間には2人の子どもがいます。2001年に長男の柚木蘭丸さん、2003年には長女が誕生しました。
長男の蘭丸さんは幼い頃に小児リウマチを発症し、体が弱かったという情報があります。そのため、幼稚園から受験を経験するなど、教育面では早くから両親の配慮があったようです。
岸谷五朗さんは2018年のインタビューで、家では「極めて普通な父親」だと語っています。一方で「家族に関する最終的な決定権はすべて自分にある」とも話しており、「昭和の父親」的な一面も持ち合わせているようです。そんな父親の背中を見て育った子どもたちは、少なくともインタビュー当時は芸能界には興味を示していなかったとのことです。
岸谷香さん自身は「学歴コンプレックス」があると公言しており、子どもたちには自分と同じ思いをさせないよう教育に力を入れていました。彼女は国立大学の付属小学校に入学したものの、中学時代にバンド活動に熱中したため付属高校への内部進学ができず、大学にも進学しなかったという経験があります。
そのため、長男の蘭丸さんには大学まで進学できる一貫校の中学受験を勧め、熱心にサポートしました。毎朝5時半に起きて弁当作りをし、学校や塾への送り迎えに奔走する日々を送っていたといいます。
その努力が実り、蘭丸さんは都内でもトップレベルの偏差値を誇る名門校に合格しました。岸谷香さんはブログで「遂に、長かった受験地獄が、終わりました。チビゴ、バッチリ欲しかった合格を勝ち取ってきましたーーー」と喜びを表現しています。
しかし、思春期の反抗期は親子関係に大きな試練をもたらしました。特に2012年、岸谷香さんがプリプリを東日本大震災の復興支援のために1年限定で再結成した時期は、蘭丸さんが小学5年生で中学受験の準備をしている時期と重なりました。
「お母さんは普通のお母さん」という認識だった子どもたちに、突然母親がテレビに出演するようになったことで、特に思春期真っ只中だった蘭丸さんは強く反発したようです。岸谷香さんは「学校に来ないでくれ」「駅で名前を呼ぶな」「ミニスカートでテレビに出るな」など、様々な言葉を投げかけられたと振り返っています。
蘭丸さんは名門私立中学に入学したものの、その後ドロップアウトしてしまいます。詳細な理由は明らかにされていませんが、新たな道を求めてアメリカの高校へ留学することになりました。
アメリカでの高校生活では猛勉強に励み、海外の一流大学への合格を勝ち取ったとされています。岸谷香さんによれば、長女も含め子どもたちは次々と留学を希望するようになり、最終的に二人ともアメリカで寮生活を送るようになったといいます。
この子どもたちの留学がきっかけとなり、岸谷香さん自身も50歳を機に英語の勉強を本格的に始めました。NYでのレコーディングという機会に恵まれた際、通訳を介さずに直接コミュニケーションを取りたいという思いから、半年以上にわたって英会話教室に通ったそうです。
現在、蘭丸さんは大学生でありながら、YouTuberとしても活動しています。金髪ロン毛、口ピアスという独特のスタイルで、自身の経験を赤裸々に語る動画を配信し、一部のファンから熱狂的な支持を得ているようです。
思春期の子育てに奮闘する中、岸谷香さんの支えとなったのがママ友の存在でした。特に、長男が同い年で小学校受験の会場で出会った木佐彩子さんとは10年以上の親交があり、子育ての悩みを共有する大切な友人となりました。
二人は「オバンデレラ」と名付けた母親たちのシンデレラタイム(17時~18時半)を設け、レストランでシャンパンを片手に子どもとのケンカや揉め事を相談し合っていました。岸谷香さんは「何十回、いや100回以上」このような時間を過ごし、気持ちを楽にしていたと振り返っています。
「オバンデレラ」タイムには、罪悪感を持たないための暗黙のルールもありました。
岸谷香さんは「思春期の子どもと向き合うのって本当に辛いから息抜きが必要」と語り、母親たちに自分の時間を持って気分転換することを推奨しています。
彼女自身、母親を亡くした経験から「私が我が子に望む事、それは母が私に望む事」という気づきを得ました。「私が子ども達に『幸せでいてほしい』と思うように、母も私に幸せでいてほしいと思っているはず。だから私が幸せな思いをしたら、子どもにもそれ以上の幸せを与えればいい、罪悪感なんて持たなくてもいい」という考えに至ったそうです。
50歳という節目を迎えた岸谷香さんは、新たな挑戦を始めました。一つはプリプリ解散時に「女子バンドは二度と組まないだろう」と思っていたにもかかわらず、再び女子バンドを結成したこと。もう一つは英語の学習を本格的に始めたことです。
子どもたちの留学をきっかけに始めた英語の勉強は、NYでのレコーディングという仕事にも活かされました。現在では「英語にビビることがなくなった」と語る岸谷香さんの夢は、アメリカに半年から1年住むことだといいます。実際に仕事の合間を縫って、若い人たちに交じって留学した経験もあるそうです。
岸谷香さんは「50代になってもう一回青春が帰ってきた気がしています」「30代、40代が辛かったから、50代の方ががぜん楽ですし、楽しい」と語っています。子育てに奮闘した30代、40代を経て、50代では自分自身の時間を楽しめるようになったことを実感しているようです。
親子関係も時間とともに変化しています。かつて反抗期真っ只中だった息子との関係も、成長とともに改善しました。小学校卒業式で撮影した「歴史に残るひどい写真」(仏頂面の息子と大泣きして笑顔になれない母親)を、現在22歳になった息子と一緒に見て笑い合えるようになったといいます。
岸谷香さんは「こうして、息子と酒のツマミにして笑える日が来るなんて、10年前は想像もできませんでした」と振り返っています。思春期の子育ての苦労を乗り越え、今では大人同士として向き合える関係に変化したことを喜んでいます。
子育ての苦労と喜び、親子関係の変化、そして50代からの新たな挑戦と夢。岸谷香さんの経験は、子育て中の多くの親たちに共感と希望を与えるものといえるでしょう。思春期の子育てに悩む親たちへのメッセージとして、「30代、40代頑張ったら、必ず50代でご褒美が返ってくる。そんなミライを、皆さん、お楽しみに!」という言葉を残しています。
岸谷香さんは2021年から2023年にかけて「東京新聞ほっとWeb」「ぐるり東京」に連載したエッセイを加筆・再構成した著書も出版しており、子ども時代からプリプリの結成、子どもの中学受験、プリプリ再結成、亡き父と母の思い出など、東京での喜怒哀楽の中にある「特別」を飾ることなく綴った半自叙伝となっています。