「寛政(かんせい)」は江戸時代の元号(年号)で、天明の次、享和の前に当たります。
期間は1789年から1801年で、改元は天明9年1月25日(グレゴリオ暦1789年2月19日)とされます。
同じ「寛政」という言葉でも、元号としての期間と、政治改革としての「寛政の改革」の期間が一致しないため、ここが検索で最も混乱しやすいポイントです。
混同しないために、まずは用語を2つに分解して覚えるのが安全です。
さらに整理しやすいよう、違いを表にしておきます。
| 言葉 | 意味 | だいたいの期間 | 覚え方 |
|---|---|---|---|
| 寛政 | 元号(年号) | 1789〜1801 | 「年号=カレンダーの見出し」 |
| 寛政の改革 | 幕政改革(三大改革の一つ) | 1787〜1793 | 「改革=政策セット」 |
意外に見落とされがちですが、寛政10年(1798年)に「寛政暦」へ改暦された、という出来事も「寛政期の特徴」を説明する材料になります。
参考:寛政の期間(天明の後・享和の前)と改元日、出来事一覧が確認できます。
参考)寛政 - Wikipedia
寛政 - Wikipedia
「寛政の改革」は、松平定信が老中在任期に主導した幕政改革で、期間は1787年から1793年と整理されます。
また、享保の改革・天保の改革と並んで「三大改革」と呼ばれます。
改革が“倹約だけ”に見えてしまうことがありますが、実際には農村の立て直し、江戸の都市対策、学問・出版の統制まで含む広いパッケージです。
政策名が多くて散らかりやすいので、目的別に束ねると理解が速くなります。
「寛政の改革=松平定信が何をしたか」を短く言うなら、危機対応として“財政・社会秩序・思想の統一”を同時に進めた、と捉えると全体像がつながります。
そして改革は1793年に定信が老中を解任され、いったん大きな区切りを迎えます。
参考:寛政の改革の背景・内容(囲米、棄捐令、寛政異学の禁など)を一括で確認できます。
参考)寛政の改革 - Wikipedia
寛政の改革 - Wikipedia
寛政の改革の“導火線”として説明されやすいのが、天明の大飢饉(1782〜1788)です。
天明の大飢饉の後、社会不安が高まり幕府財政も危機に寄った、という文脈で寛政の改革が語られます。
「飢饉→不安→改革」という流れは受験向け要約でも頻出ですが、背景としては災害・物価・統制の問題が絡み、単線ではありません。
例えば、天明期の出来事が寛政の改革開始に接続していく様子は、天明の大飢饉の項でも“その後、幕府が改革を始めた”という流れで触れられています。
ここで重要なのは、改革の中心テーマが「とにかく米を増やす」だけではなく、「次に同じ規模の危機が来ても崩れない仕組み(備蓄・秩序・制度)」を作ろうとした点です。
“意外な見方”としては、寛政の改革を「災害復旧の政策」ではなく「危機後の再設計(ルール作り)」として読むと、学問統制や出版統制まで同じ地図の上に置けます。
参考:天明の大飢饉の期間(1782〜1788)と、飢饉後の社会動揺への言及が確認できます。
参考)https://www.touken-world.jp/tips/11110/
https://www.touken-world.jp/tips/11110/
寛政期のトピックで強い検索需要があるのが「寛政異学の禁」で、1790年に松平定信が進めた学問統制として整理されます。
コトバンクの説明では、昌平黌(昌平坂学問所)で朱子学以外を禁じ、官吏登用を朱子学中心に寄せた点が要点として示されています。
ここを誤解しやすい点として、「江戸のすべての学問が一律に禁止された」というより、“幕府の学問所・幕臣教育の軸を揃える”性格が強い、という読み方ができます。
寛政の改革の全体像から見ると、学問統制は単独の事件ではなく、政治批判の抑制(処士横議の禁)や出版統制と並ぶ「言論・思想の管理」の束の中に置かれています。
また、この時期は文化面でも動きがあり、寛政6年(1794年)に東洲斎写楽が活動を始めた、といった出来事が同じ「寛政年間の出来事」に並ぶのも面白い点です。
参考:寛政異学の禁の実施日(1790)と、学問統制である点の要約が確認できます。
参考)寛政異学の禁 - Wikipedia
寛政異学の禁 - Wikipedia
検索上位では「寛政=改革(松平定信)」に話が寄りがちですが、寛政期は“基準(ものさし)を揃える”という観点でも語れます。
代表例が「寛政暦」で、1798年(寛政10年)から施行された暦法として整理されています。
暦は日付のルールなので、改暦は「生活のリズム」や「年中行事の運用」に静かに効くインフラで、政治改革のように派手ではない一方で影響範囲が広いのがポイントです。
また、度量衡(長さ・体積・重さなどの単位)も、領域を運営するには基準の統一が重要だ、という趣旨で説明されます。
寛政期の出来事を「改革の年表」だけで終わらせず、暦・計量・通貨のような“社会のOS”に目を向けると、寛政が単なる道徳統制の時代ではなく、制度を組み替えていた時代として立体的になります。
この視点で見返すと、「寛政10年に寛政暦へ改暦」という一行が、急に“時代の気分”を語る手がかりに変わります。
参考:寛政暦の施行開始(1798)と使用期間の概略が確認できます。
参考)寛政暦 - Wikipedia
寛政暦 - Wikipedia